テニス部員が、花形パートへ
- 小野先輩の音楽・マンドリンとの出会いを、まずはお聞きかせいただけますでしょうか -
遡ると小学校5年生くらいの時に、母親に勧められるままにクラシックギターを始めました。通信教育で、レコード盤と本が送られてくるのですが、1年~1年半くらい続けて、一応ギターの基礎的なことは覚えました。
その後、中学校くらいになりますとご多分に漏れずフォークギターの方に移りバンドめいたことをやったりしておりましたが、部活動は音楽的なものではなくテニス部に所属しておりました。
当時は大阪在住だったのですが、中央大学附属高等学校への受験を機に大阪から東京へ出てきました。
高校に入学しましてテニス部に入部しようと思ったのですが、軟式テニスしか無かったのです。私は硬式テニスをしていたので、軟式ではダメだったのです。そこで他に部活がないかなと思っておりましたが、音楽室で何か行われているので覗いてみたら、マンドリン部が新歓活動を開催していたのです。
先ほど申し上げた通り、私はギターの経験がありましたのでギターを見ていたのですが、ギターパートはマンドリンオーケストラではどうしてもブンチャッ・ブンチャッ、と伴奏を担当することが多いのですよね。一方、マンドリンは旋律を担当しているので、こちらの方が良いな…と思ってしまいまして、そんな思いを抱きながらマンドリン部に入部したというのが経緯です。
- それでは、マンドリン部に自ら足を運んだ、と言うよりも… -
ギターがある音楽部に、という動機でしたね。
中央大学を卒業してからは一切マンドリンには触れず、封印しておりました。
というのは、流通系の企業に入社しまして、土日の休日が全くない職場に決まったということで止めようと。一切封印しておりました。
48歳の頃だと思うのですが、前職から山野楽器に転職するわけですが、転職と同時に事務職になりまして、土日が休める仕事になりました。
それを契機に、それまでも先輩方には「早く来い、早く来い」と声がかかっていたのをスルーしていたのですが、転職をタイミングと捉えて復活してみようかなということでコムラードマンドリンアンサンブルに入団しました。
鈴木先生、そのテープは逆では…
- 小野先輩が中央大学に在学中は、鈴木静一先生がまだご指導をされていた頃ですね -
そうですね。私が3年生の時期まではお元気で、練習場にも足を運ばれ、合宿にもお越しいただいて指導をいただいておりました。先生と直接ご対応されるのは先輩方なので、我々下級生は、こう…遠くから眺めるような距離感でしたね。

いよいよ3年生の終わり頃になりまして、選曲となりますと各パートのトップが先生のご自宅にうかがいまして、こういう曲を取り上げたいと申します。
先生はあまり「ああせい、こうせい」と仰る方ではなかったと記憶しているのですが、先生の曲をどれにするかという場面で「こういうのもあるぞ」というお話をされた、ぐらいですかね。ですから、先生とお近くで会話をできたのは1年間くらいですよ。
先生のお部屋というのは、僕の印象では薄暗いんですね。窓から外の光は入るのですが、パッと照らされているというよりもやや暗い感じでした。そこで、参考音源のオープンリールテープをカチャカチャと操作して聴かせていただいたりしました。
一つ印象に残っているのが、「この曲はどうだ?」と仰ってオープンリールをかけていただいたのですが、オープンリールテープというのは逆向きにセットすると反対側に録音された音が再生されるんですね。それを先生が気付いているのか気付いていないのか、腕を組みながらお聴きになっていて…
我々は「どう考えても、テープが逆だよな…」と思いながら言い出せず(笑)、その後の顛末までは覚えていないのですが、それがすごく覚えております。
- (笑)当時の小野先輩達からも、鈴木先生とはそれくらいの緊張感があったということですね -
ええ、もちろん。当時の僕達も先生を目の前にしたら硬くなって話もできなかったものです。
僕達が入部した1年生の時に甲野藤茂先輩(昭和53年 / 1978年卒)がコンサートマスターだったのですが、1stパートに入った僕を、「前の方の席に来い」と呼ぶのです。するともちろん前の方なので、指揮者の傍らで椅子に座る先生が目の前に見えるんですね。
有名な話ですが、先生はショートケーキがお好きでしたので、休憩中に部員が先生にケーキを必ずお持ちするのです。ところが合奏になって気持ちが入ると、ケーキ用のフォークを持って指揮を振り出すのです(笑)。そういう姿を拝見して、面白い方だなと感じた映像をよく覚えています。

ご逝去の一報、涙の「邪馬台」
- そして小野先輩が4年生の時が、鈴木先生がお亡くなりになった年に当たりますね -
そうですね、それは驚きました。ご年齢もあり、もちろんご入院されていたことなどは耳にしておりましたので、正直なところ来る時が来たか、という驚き・悲しみではありましたが。
私が2年生の時に大学が多摩キャンパスに移転しており、移転した後の音楽研究会の練習場で春の定期演奏会に向けて「邪馬台」を練習している最中に電話がありました。その電話に指揮者の田中零が呼ばれまして、何かあったのかなと私も思っていたのですが、田中君から「ただいま鈴木先生がお亡くなりになった」という報告があったのです。
私の記憶では、そこで「邪馬台」を通して合奏したのです。感極まって泣きながら演奏した部員もいたという、そのことは後輩達も含めてよく覚えていると思います。あの時は夢中でしたが、今になって、そういうタイミングに居合わせたということの重さ・深さというものを感じますね。

追悼演奏会
- 小野先輩には本日「鈴木静一先生を偲ぶ追悼演奏会」のパンフレットをお持ちいただきましたが、9月8日開催ということで、5月27日のご逝去からとても短期間で開催されたことに驚きます -

はい、改めて驚きますよね。私は事務的な準備などには当時関わっていなかったと思いますので、大学OBや関係者の方々が動いておられたのだと思います。
私達は秋の定期演奏会とも並行して準備しておりましたので、恐らく指揮を執られていた飯塚幹夫先輩(昭和51年 / 1976年卒)をはじめとする方々のご尽力で開催できたのではないかと思います。私達学生だけでは到底開催できていなかったと思います。
- 参加団体を拝見すると関東一円の大学だけでなく、愛知学院大学や立命館大学が参加されており、先生が広く各地でご指導をされていたことが窺えます -
立命館大学・関西大学や愛知学院大学は、CUMCでご指導をいただく以前より関わっておられますよね。そういう意味ではCUMCと先生とは、かなり後になってからの関わりになります。
私としても鈴木先生とCUMCは昔からベッタリご指導をいただいているというイメージでしたが、紐解いてみると私達は歴史的に見るとかなり浅いところに位置しているんですよね。
- そうなんですよね、それは私も意外に感じておりました -
そのような短期間にも関わらず、CUMCにとって鈴木先生という存在の深さというものが非常に濃密なものになったなと感じます。先輩方から重ねてきた一生懸命さというものがあってのことだと思います。
- ステージメンバーも100名くらいを数えますでしょうか -
今になって「初めまして」とご挨拶した方が、「実は追悼演奏会でご一緒していました」「小野君は知らないだろうけど、私も弾いてたんですよ(笑)」と仰っていただくような現象も起きておりますね(笑)。
短くも濃い、CUMCと鈴木先生との日々
- 先生ご逝去の後は、指導者がいらっしゃらない体制での運営だったのですか -
そうですね。私達の頃の意識としては、鈴木先生はCUMC全体の指導者というよりも、ある種の象徴的なイメージでしたね。
もちろん先生の楽曲については直接教えを乞うのですが、すべてのことを指導していただくというよりは…
もっと以前の先輩方は奏法なども修正されたという時期があったと聞いておりますが、私達の頃には基本的な平衡奏法の指導などが附属高校の時点で修了しているんですね。附属高校に大学から先輩がお越しになって「平衡奏法にするぞ。今からは、これだからな。」ということを恐らく合宿の時に教わった記憶があります。
そういう意味ではコーチ・技術指導者というような関係性はあまり実感が無く、基本的に自分達で自主的に進めていたという印象です。
ひとつだけ覚えているのは、マネンテ作曲の「小英雄」という曲があるじゃないですか。それを私達の代で練習していた時に先生がお越しになりまして。小英雄の冒頭は楽譜の上では、pからクレッシェンドしていくんですね。田中君が指揮を振り出した時に、それを先生が「ダメだ」と。冒頭からffにして、楽曲をまったく変えてしまわれまして、それで演奏したという衝撃的な記憶がありました。

鈴木先生を本格的に招聘しはじめた頃の先輩方が、一番リアルな体験として鈴木先生との関りを記憶されているのだと思います。演奏会の度に鈴木先生を挟んでステージで記念撮影をされたりなどされていたようですが、私達の頃はしておらず、コンサート終盤にアナウンスしてご来場いただいている先生をご紹介する、というような様子でした。
- こうしてお話を伺いますと、鈴木先生、また先生との関わり方のイメージというのが変わります -
鈴木先生とCUMCの濃密な関わり合いというのは、実質10年弱の期間だと思うのです。それから数十年が経っておりますので、今の若い方から見たら、遠い昔のちょっとしたエピソードのような印象なのではないでしょうか。
ですから、私達が演奏会やイベントで楽曲を取り上げて「鈴木先生! 鈴木先生!」と言うのを若い方々がポカンと見ている姿を想像したりするのですよ。
- 今の若い方とでは、少なくとも感覚はまったく違うと思います。それでも今でも鈴木先生の楽曲が弾き継がれているというのは、ある意味で奇跡的なことでもあると思います -
やはりそれが鈴木先生の楽曲というものが、良いものとして認められ残されているということ、無視できない確かな存在であるということ、の証なのでしょうね。
- 先ほども少し触れましたが、中央大学が多摩にキャンパスを移転したのが小野先輩2年生の時ということでしたが、CUMCとして大変だったというようなご記憶はあるのでしょうか -
大変だったというような記憶は無いですね。環境としては、練習場自体はとても良くなりました。移転以前は、布張りの床を突き破った雑草がそこここに見えるような練習場でしたから(笑)。そこからあの立派な環境に変わったときには、正直感動しました。

ただ、通うのが大変でしたので、そちらの方がしんどかったですね(笑)。自宅から1時間で通えたのが2時間半になりましたので、そちらの方が大変な思い出でしたね。
練習場としては快適で、飲み物だけでなく食べ物も購入できる自動販売機が設置されておりまして、これはいいな(笑)と思っておりました。まあ、練習が終わってからの道のりが寂しかったですけどね、真っ暗で(笑)。
移転以前の富坂の練習場も、理工学部の部員以外はキャンパスを移動して練習に来ていたじゃないですか。ですから、ついつい授業に出なくなっていく(笑)という感じでしたけれど。
多摩キャンパスに移転してもキャンパス自体が広大なので、各学部棟から練習場まではかなり歩かされるじゃないですか。それでも移転以前の頃から便は良くなかったので、練習場までの移動自体はもう馴れた印象でした。
今は法学部が移転して、活動に課題を抱えてしまったと耳にしております。
- まさに今年(2023年)4月に法学部が茗荷谷に移転しまして、茗荷谷キャンパスにはサークル活動スペースが無いため、難しい状況となっております -
マンドリンを、どなたでも触れられる場に
- 小野先輩は(2023年10月)現在、株式会社山野楽器にて楽器販売のお仕事に携わっていらっしゃいますが、やはり音楽への想いというものがあったのでしょうか -
音楽の想いというような綺麗な話ではないのですが…

転職する以前は、CD販売チェーン店を運営する会社に出向という形で在籍しておりました。40代後半の頃にCD不景気の影響などにより、会社全体の方針が変わる様子を感じておりました。
私が営業企画の部長を担当していた頃に、同じ音楽・CD業界として、山野楽器の方にも頻繁にお会いする機会がありましたので、思い切って現況を相談したのです。その後に様々なご縁をいただきまして、「来てください」というお話をいただいたのです。その縁が無かったら、今こうしてマンドリンに携わって、マンドリンの世界に戻っていることも無かったでしょうね。
山野楽器には販売促進という担当で入社させていただき、その後60歳を迎えて役職定年という立場になりました。
ところで、会社の方ももちろん皆さん音楽が好きな方ばかりでしたので、私が出演していたコムラードマンドリンアンサンブルのコンサートなどにもお越しいただいていたのです。そうしたら、「それだけ好きで一生懸命やっているんだから、山野楽器の中でマンドリンをやったら?」という話が出たのです。
- おおっ! そのような流れだったのですか! -
それまではマンドリンも扱っていなかったわけではなく、お問い合わせをいただいたら取り寄せて販売する程度には対応していたらしいのですが。それが、「どうせだったら、売り場を作ったら?」という話になって、私自身が「えぇ…っ?」という感じで(笑)。
それで、山野楽器 銀座本店に「クラシックギター/マンドリン売場」を開設したということなのです。1思ったよりもユルい始まり方でしょう?
- はい! 驚きました! -
「小野がいるから、やったら?」という、もうノリで始まったような感じですね。

ただ、やる以上は、今までに無かったやり方ができないか? ということは考えました。既存のギターマンドリン専門店の得意とする土俵で、同じやり方で並ぶことはできないとはわかっておりました。
そうではなくもっと緩く、その代わりにどなたでもが見に来ていただいて、ふと楽器に触れていただくような。そういった「一般的な楽器屋さん」として、マンドリンを見せられる場所を提供していくというのは面白いのではないかと。そういう想いで開始したのです。
今日お越しいただいたお客様も、楽器の話を超えて、トレモロ奏法のお話や、習うならこのような先生が良いですよ、といったコンサル的なお話をさせていただいて、最後は楽しそうに帰っていかれる。そういうお姿を見た私自身が笑顔になる、それが楽しいんです。

(2023年10月30日 取材)
- 山野楽器 銀座本店でのマンドリン販売は2024年2月に終了しております。掲載現在(2026年4月)は、島村楽器マルイ錦糸町店にてマンドリン販売に従事されております。 ↩︎
