積麻衣子(せき まいこ) 平成26(2014)年卒

ピアノ女子が初対面した、「なんだ、これは!」

 3歳の時に親の勧めで、ヤマハ音楽教室でピアノをはじめたことが、音楽との最初の出会いでした。それをきっかけにピアノを弾くのが大好きになり、小学生時代はそれが一番楽しかったと思います。ピアノ自体はそのまま高校生まで続けておりました。

 実は中学1年生ではバレー部だったのです。中学生になって「何か部活をやろう」となった時に、友達とノリでバレー部に入部したのですが、実はガチのめちゃくちゃキツイ部活で、ちょっとノリで入るような部活ではなかったというのがありまして、中学1年生のうちに退部して吹奏楽部に逃げるように(笑)入部しました。
 中学2年生から吹奏楽部でトロンボーンやユーフォニウム、チューバなどいろいろな楽器を担当しました。

 中央大学附属高等学校に入学して、当時はマンドリン部やマンドリンという楽器自体も正直知らず、元々は吹奏楽部に入部しようと思っていたのですが…

- そうですね、その方が自然な流れだと思うのですが -

 入学してすぐに新入生歓迎会というものが講堂で開催されまして、各部活が紹介でパフォーマンスをしてくれる時間になりました。
 その時に、謎のマンドリン部という部活が現れて、いまだに覚えているのですが、ジブリ映画「もののけ姫」のテーマ曲である「アシタカ攝記」を、恐らく50名くらいいたのでしょうか、演奏をされたのです。

 言ってしまえば、それに圧倒されたのですね。「なんだ、これは!」という驚きと、聴いたことのない新鮮なサウンドで、すごく癒しも感じるし、強さも感じたし、ということですごくそこで衝撃を受けまして、「えっ、なんか、こっちの方が面白そう。マンドリン部、新しくて面白そう」と思って仮入部に行ったというのが最初のきっかけです。

- その時の先輩方が頑張っていたから、積さんが入部してくれたということですね -

 そうですね。楽器については、最初からコントラバスを目掛けて行きました。
 やはり元々低音が好きで、全体を支配するというところに格好良さを感じるタイプだったのです。オーケストラの中で、なんだか1個だけ違う楽器が、でっかくて大きな音を出しているな、というところがすごく格好いいなと思いまして。
 コントラバスの先輩のところに仮入部に行って、楽器を教えてもらって、もうその1日2日のうちに自分の中でドハマりしてしまって、もうこれに高校時代を捧げようと思って入部しました。

- 「低音」のところはブレなかったのですね -

 はい、そうですね。ですからマンドリンには見向きもしなかったですね(笑)。マンドリンの音はすごく良いと思ったのですけれど、弾きたいなと思ったのはコントラバスでした。

- それで中大附属で2年間コントラバスを担当して、3年時に指揮者を担当されたのですね -

 はい。そうです。

楽しい! 野望! 鬱屈…ハッパ!

- 中央大学に入学して、その後もマンドリン倶楽部を続けようと思ったのはなぜでしょうか -

 もう自分の中では、大学のマンドリン俱楽部に入部するのが当たり前のように思っており、それも込みで大学生活を楽しみにしておりました。
 高校の時から大学の先輩がすごく教えに来てくれたので、その先輩達と一緒にできるのだなというのが楽しみでしたし、高校と違う魅力、「大人の演奏」と高校生の時には思っていて、あそこで演奏するのだ、というのが自分の中で楽しみだったので、当たり前のようにCUMCに入部しました。

- 中大附属で始めてCUMCに入部された方は、だいたい同じことを仰ってますね -

 そうですか(笑)。私も迷いは無かったです。怖いですね、DNAが(笑)。そういうもんだっていう。
 先輩方が教えに来ていただけた、というのが大きいですよね。

- そうですね、先輩方と一緒に活動するのだ、というイメージが持ちやすいですよね -

 そうですね。あと、高校の時は3学年で活動するじゃないですか。それが大学になると4学年に増えるので、まだ1年次分関われていない先輩達と一緒にできるという。
 高校の時に「総合コーチ」として自分達を一番強く教えてくれた代というのが、私達が大学に入学した時の大学4年生に当たるので、その一番お世話になった代の先輩とご一緒できるというのもすごく楽しみでしたね。

- それで実際にCUMCに入部して、どうでしたか? -

 正直、私にも生意気な気持ちがあったので、先輩達と一緒にできるのが楽しいと思う一方で、「早く自分達の代になりたい!」という気持ちも持っておりまして、自分達の代になったらこの曲をやるのだ、合奏はこのように進めるのだ、といった野望のようなものを下級生の時は持っておりました。
 野心もあるし向上心もすごくありましたし、今思うと自分の中が活気に溢れていた時期でした。上級生になってから悩んで鬱屈としている時よりも、当時の方がある意味元気だったかなという気がします。

- それは、びっくりするほど皆さんそうなのですよね。明確に口にしていただけたのは積さんが初めてなのですけれど(笑) -

 (笑)そうなんですね。

- そうなんです。それで4年生になると、世間って厳しいんだな、と。あの頃の自分をひっぱたいてやりたいな、と。 -

 本当にそうです! 思うようにいかない、というか(笑)。
 逆に、あの頃の自分にお尻を叩かれることもあって。「あんな風に思っていたじゃん!」ということに発破をかけてもらえるところもありましたけれど。まあ、それでもあの頃の自分は生意気だったということですね(笑)。

- CUMCの活動中に、何か印象に残ったイベントなどはありますでしょうか -

 そうですね… 一つ挙げるとしたら、合宿でしょうか。定期演奏会ももちろんなのですけれど、合宿が年4回あるというのが、あれが有るか無いかで自分の大学生活は違ったかなと思っています。

 同じメンバーと年4回合宿に行って、4泊・5泊と寝食を共にして一緒に音楽を作っていく。高校の時はコーチがいて、大学生に教えてもらいながら作るという側面が多かったと思うのです。大学になると本当に自分達にかかっているというのがあって、それが面白さでもあって辛いところでもあると思うのですけれど。
 そういう意味でも合宿で、何というか鍋の中の具を煮詰めるような時間というのは、今考えても自分の音楽人生に影響を与えているなと思います。あの中で悩んだりとか、仲間と夜な夜な話したりとか、という時間は唯一無二であったと感じています。

- 年4回合宿を行うサークルというのは、今はなかなか無いのではないでしょうか -

 いやー、無いですかね。

趣味で終わらせたくない、もう少し学びたい

- 本日は國學院大學久我山高等学校にてインタビューをさせていただいておりますが、というのも… 中央大学を卒業されてから、別の学びをされたのですね -

 はい、そうです。それは大学3年の時に、周りは就職活動に向かっていく中で、自分の将来を考えざるを得ない局面に来ておりました。コントラバスと音楽の師匠でもある高杉健人先輩(平成16年 / 2004年卒)にも「大学3年の時にはもう、卒業後にどうしたいのかを決めておきなさい」と言われておりまして、その言葉もずっと自分の中にあったのです。

 自分と向き合って、一つは私が2年後に社会人になる、ということの想像がつかなかったのです。そんな風になれていないよな、と。
 もう一つは、音楽に対して趣味で終わらせたくない、という気持ちがありました。すごく安直な考えではあると思うのですけれど、音楽が好きで、子どもも大好きで、すると自分がプレーヤーになるというよりは、子ども達と生の音楽を作る場所にいられたら幸せなのではないかなと思いました。

 音楽を趣味で終わらせたくない、もう少し学びたい。その時の自分の環境を考えたら「音楽の先生を目指す」というのが一番わかりやすいかなと思いまして、周りの方々に相談をして、何とか応援をしてもらえて、大学に入学しなおせたというところですね。

- そして、音楽を専門に学ぶというのもそうですが、教育というところにも将来的な気持ちがあって東京学芸大学を選ばれたということですね -

 そうですね。

- 入試はどのようなものでしたか -

 入試は、もうずっと楽しかったですね。
 初めて本格的に音楽を勉強する機会が、その入試の勉強でしたので、楽典と呼ばれるものだったり、聴音と呼ばれるものだったり、受験問題を解けるようにするという過程が自分にとってはすごく新鮮で楽しいものでした。

- 中央大学を卒業して、改めて専門の大学に入学するということについて、周囲の方々、CUMCの仲間や積さんのご家族はどのように受け止めておられたのでしょうか -

 CUMCの皆は前向きに捉えてくれて、すごく応援してくれました。具体的に誰に何を言われたかというのは正直あまり覚えていないのですが、皆にすごく応援してもらえたことは覚えています。

 家族には、今でも覚えているのですけれど、母親には「何かそうなる気がしていた」と言われました。父親には「やりたいことに向かって頑張りなさい」という言葉をもらって、誰かから咎められたり、止められたりしたことはなかったですね。

 逆に後から、それこそ高校マンドリン部の同期には「やると決めたからには、絶対やるんだよ!」と、親よりも厳しい言葉をもらったりしました(笑)。
 それから、近所のおじさんですね(笑)。隣の家の、ほとんど親戚のような付き合いの方なのですけれど、「親不孝者だな~、お前は2回も大学に行って~」と、もちろん愛情込めてですけれど言われて(笑)。
 むしろそういう、周りの方から後々になって言われる言葉で、「そうだよな、当たり前だと思ってはいけないな」と思ったことはありましたね。

「先生」への、学びと経験の道程

- 東京学芸大学を4年で卒業して、その後のご活動はどのようなものでしたでしょうか。これはマンドリン音楽のことと、併せて現在のお仕事に繋がる音楽活動についてもお聞きできればと思うのですが -

 まず在学中に行っていたこととして、私の専門がコントラバスという、マンドリン以上にフィールドの広い楽器だったので、そこを活かせる機会を大事にしていました。
 学内のオーケストラであるとか、あとは学外に、自分が演奏するだけではなく教えにいく機会ですね。

 「エル・システマ」というものをご存じでしょうか? ベネズエラで始まった、困難な状況からも希望を見つけて頑張っていくという精神的な部分を「音楽」を通して見つけていこうという活動組織があります。
 その日本版である「エル・システマジャパン」が主催して、東日本大震災の後に福島県の相馬市で「相馬子どもオーケストラ」というものを作って、そこに来ているお子さん達にボランティアとして教えに行くという活動に参加しました。

 他には、オーケストラを聴いたことがない東南アジアのお子さん達に、具体的にはタイ・インドネシア・カンボジアに私は行ったのですけれど、オーケストラを日本で作ってみんなで行って演奏旅行をするという「ワールドシップオーケストラ」の活動に参加しました。そういったボランティア的な活動に参加したことも、そこで気付いたことや、自分の方が貴重な体験をさせていただいたなということがすごくあるので、経験して良かったと思うことではあります。

 あとは、学校に教えに行くということも少し行っておりました。学生時代は指揮を担当していて、その経験はすごく自分の中では活きておりました。
 東京学芸大学の近くに早稲田実業学校があるのですけれど、そこの弦楽器部、正確には「弦班」というのですけれど、そこに指導に行って、少し指揮もしておりました。「先生」と呼ばれて音楽を教える現場に立たせてもらうということは、教師になるにあたってすごく貴重な経験をさせていただいたと思っております。

 それが、在学中に活動していたことですね。

- 卒業後の音楽的な活動はいかがでしょうか -

 卒業後は、まずこの國學院大學久我山高等学校の非常勤講師という形で勤務をさせていただいたのですが、その傍らもう一度仲間と音楽がしたいなという気持ちが生まれました。
 そこで大学時代の同期・先輩・後輩に声をかけて「Music Laboratory HAKU」という団体をやってみようということで実現したのが、自分の中で主な活動ですかね。

- マンドリンオーケストラの活動としては、HAKUがメインということですかね -

 そうですね。あとは師匠の団体である憧れのKSDマンドリンアンサンブルに入ったというのも楽しい活動でした。

音楽部の顧問として、指導の源流として

- マンドリン以外の活動というのは、現在はされておりますでしょうか -

 今はしていないです。部活の顧問として、歌ったり弾いたりはしております。
 現在受け持っている「音楽部」というのは、基本的には混声合唱がメインです。少しだけヴァイオリンやチェロといった楽器が弾ける生徒がいるので、その生徒達と時々アンサンブルをしております。自分が弾くこともありますし、生徒が弾いているのを聴いて指導することもあります。ですから文化祭などで伴奏としてコントラバスを弾いたりもしていますね。

- そのような活動で、CUMCの活動が活かされていると感じる部分はありますでしょうか -

 私はCUMCの活動が無かったら音楽は続けていないので、すべてだと思います(笑)。
 自分の経験の範囲からでしか、指導というのはできないですよね。ですから、今でも教えるときに思い出すのはマンドリンでのことなのですよ。合唱とマンドリンではもちろん分野は異なるのですが、音楽の大事なところというのはすごく繋がっていると思います。

 赴任してすぐに6月に定期演奏会がありまして、現役が20人くらいなのですが、OBの方が30人くらいいらっしゃいまして、OBの方が多いような合同の合唱団を2ヶ月間で一つ演奏にするというのが、自分の中では「大丈夫かな…」という感じでした。不安要素を感じながらも自分なりに一生懸命にやって、そうしたら嬉しいことに、自分で言うのもなんですが、お互い伝わるものがにあったのですよ。

 OBの皆さんは合唱を何十年も経験されている大ベテランの方々で、その演奏に対して新参者の私がコメントを返すというのはすごく偉そうなことだと思うのですけれど、皆さんに懐の深さや器の大きさがあって、こういう風に受け容れていただけたと思うのですけれど、そこにすごく真摯に向き合ってくださいました。私も本当にOBの方々との合同練習が一番楽しいくらいで(笑)、最後は自分の中で充実感あるものになりました。

 でもそれは、裏を返せば、マンドリンで教わったことがすごく本質的であったからだと思うのです。その場所で様々な先輩方に言われたことが本当に普遍的なことであり、音楽をやる上で誰もが納得できるようなことをちゃんと叩き込んでいただいたから、あの時皆さんがうんうんと聞いてくださったのではないかと思うので、本当に感謝しかないですね。
 マンドリンが無かったら、恐らくああはなっていないと思います。

- 積さんの中で、附属高校およびCUMCの活動が、音楽の原点だったと言ってしまってよろしいのですかね -

 そうですね、そうだと思います。原点ですね。そこですべてを教わったのだときっと思います。

積先生! 僕も、私も…!?

- 「社会人になっても専門的に仕事として音楽に向き合いたい」「音楽の分野を自分の将来の道にしたい」という方がいらっしゃったら、積さんからはどういった声かけをしたいと思いますか -

 なるほど、そうですね…
 その質問をされた方の本気度をすごく見たいかな、というのはありますね。本当にやろうとしている人というのは、恐らく止めても聞かないですし、もうやると決めたのならやるしかないと思っているところはあるので…

 難しいですね、どういうことを本気でやろうとしているかによるのですけれど、やはり上手くいってもいかなくても自分で責任を取る覚悟があるかどうか、というところは… 本当に相談されているみたいな答えで恐縮なのですけれど(笑)。
 でもそれは音楽だからということではなく、どの仕事においてもそうかなと思うので… ただ、こと「芸事」においては、自分自身の生き様みたいなものがどうしても問われる部分はあるので… 難しいな…

- 申し訳ありませんが、大変難しい質問をしてしまっていると思います -

 いえいえ(笑)。ただ実際、私の生徒の中にもいるのですよ。「音楽家としてやっていきたいです」という子は。
 基本的には、止めません。本気で考えて目指そうとしているのであれば、「まずは、やってみなよ」と思います。だけど、上手くいかなかったときに、誰かのせいにしたりとか、環境のせいにしたりはしないで欲しい。自分でちゃんと道を切り拓くつもりで歩んでいって欲しいかなと思います。このような答えで良いのかわからいなのですが…

- 素晴らしい、真剣な答えだと思いますよ。お聞きした私が申し訳ないくらいに(笑) -

 いやいや、そのようなことを言える立場ではないのですけれどね。私ものらりくらり人生なので(笑)、良い感じに言葉にしてしまっておりますけれど、こう見えて楽な方を選んできたという自覚があるので。
 就職活動を前にして大学に行きたいと思ったのも、若干就職活動から逃げたところも無くは無いので(笑)。

 今の職場に巡り巡ったのも、東京都の採用試験に落ちてしまったからなのです。採用に落ちて、さあどうしようかと思って、私立の非常勤講師の枠をやってみるか(笑)と思ったのが失礼ながら現職との出会いなので、決してやりたいと思ったことを全部成し遂げてきたわけではまったくありません。
 だからこそ、やりたいと言っている子に最初から止めた方がいいと言えるような自分の人生ではないかなと思います。まずはやってみなよ、と思います。

- 今後はどのような活動を目指しておりますでしょうか -

 そうですね、野望はちょっとあるのですけれど…
 やはり自分の教え子と、自分のマンドリン音楽の仲間達を、音楽を通して出会わせたいというのはちょっとあります。

- それは、野望ですね…! でも、自然とそうなってくるという気持ちもわかりますね -

 はい、そのためには自分がなんとか働き続けて(笑)、仲間との絆も今後も大事にしながらやっていく必要はあるのかなと思うのですけれど。

 でも、わかりません。人生がどうなるか(笑)。
 あとは、健康であり続けて(笑)、音楽に触れ続ける人生でありたいです。

(2023年12月6日 取材)

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